「すっごーい。彩糸、どうしたの、これ?」
 リーヴシェランの感嘆の声を聞きながら、彩糸はくすりと微笑んだ。捧げ持ってきた特大の自作ケーキを、そっとテーブルにのせる。
 豪奢な金髪を手でおさえながら、リーヴシェランがケーキをのぞきこんだ。ムラのない淡い色のクリームに覆われた表面にほどこされた、繊細なパイピングに目を留め、再び歓声をあげている。
「うっわー綺麗ねぇ。これ、宮廷のサロンでだって充分通用するわよ。彩糸がつくったんだから、味のほうだって文句なしだしね?」
「ありがとう、リーヴィ」
 会心の作を大事な少女に誉められて、嬉しくないわけがない。珍しく頬を紅潮させる彩糸の笑顔をみて、リーヴシェランの喜びもまた大きくなる。にこにこと微笑みあっていると、陽気なノックの音がきこえてきた。
「やっほー」
 応対に出た彩糸と部屋にはいってきたのは、ノックの音で大方予想がついていた相手…サティンだった。
「相変わらずタイミングいいのねーサティン。いいものがあるわよ」
「知ってる。さっき通りかかった時いい匂いしてたから、絶対彩糸が美味しいお菓子作ってるんだなーって思ったのよ。だからお茶の時間を待って、こうして参上したってわけ」
 相変わらずちゃっかりしてる……と思いつつ、リーヴシェランはサティンに椅子をすすめた。間をおかずに、彩糸が湯気のたつカップののったトレイを手に現れる。
「ありがと。…うわ、デコレーションケーキじゃないの、すっごい。仕事が丁寧よねー彩糸は。まあ最近めっきりヒマだし、お菓子作りに燃えちゃうっていう気分になるものわかるけど。なんでこんな豪華なの作ったの? 今日はどっちかの誕生日とかいうんじゃないでしょ?」
「ええ。そういうわけではないのですけど。でも今日は若君が…」
「ちょっと待って」
 いきなりわって入ったのは、主人役のリーヴシェランだった。座ったばかりのソファからがば、と立ちあがり、彩糸に詰め寄る。
「ちょっと待ってよ。え? 知らないわよ、何? 今日ってあいつの誕生日? なんで教えてくれな……じゃなくて、どうして彩糸がそんなこと知ってるの? ……あいつ、いつの間に……」
「リーヴィ、違います」
 おろおろと……しかし苦笑しながら、とサティンには見えた……リーヴシェランの肩に手をおいて、彩糸は大切な少女をなだめた。
「若君のお誕生日なんて、わたしも知りませんよ。ただ、この前のときに若君が珍しく、今日お見えになるって予告してらしたでしょう? あらかじめ判っていることなら、きちんとおもてなしの用意をしておこうと思って。それで」
「……なんだ」
 彩糸の言葉を聞いて、リーヴシェランはほっと息をついた。そして興味津々のサティンの視線に気付いたのか、我に返ったようにまくしたてる。
「…でもっ! あいつなんかのためにこんな豪華なもの用意しなくてもいいわよ、いっつも手ぶらで来ては彩糸に食べ物ねだってるんだから、あいつ! こんな綺麗なケーキだって、ちゃんと味わいもせずに3口ぐらいでがつがつ食べちゃうにきまってるわ、勿体無いわよっ」「
「そおねー、魔性なんて、お金なんかこの際関係ないんだからさ、たまには産地直送のお土産とか持ってきてくれてもバチはあたんないわよねー。うちのだって、わたしがこれ見よがしに『美味しい水が飲みたいー』ってため息ついても無反応だし。気ぃきかせてとってきたらどうよって怒鳴ったら、言うに事欠いて『自分で掘ってこい』よ? まったく、ケチなんだから! あの根暗男はっっ!」
「でしょおっ! なんていうか、女性に対する気配りが足りないのよ! この前だってね、あいつ……」
 …なんだか例によって脱線愚痴大会が始まりそうな予感がして、彩糸は控えめに言葉をはさんだ。こんなところに邪羅が到着してしまっては、可哀そうだ…と思ったのだ。
「でも、若君はいつも、こちらの用意したものをとても美味しそうに召しあがってくれますから。見ていて気持ちがいいですよ」
「だって実際、彩糸のお菓子は美味しいもの」
「まあ、まんま健康優良児なあの食べっぷりは、確かに見てて爽快だわね。そういやあの子、ラスと会う前は両親が失踪しちゃって一人で自活してた欠食児童だったわけでしょ? そのときの感覚がまだ残ってるんじゃないの、めでたく魔性になった以上は食事の必要なんてないはずなのに、あんなに食べ物に執着するなんてさ」
「え?」
 リーヴシェランは目をみはった。そういえば、邪羅の生立ちなど何も知らない。両親がどういった存在かは知っているけれど。
 聞いたことなんて、ない。実際にどんな子供時代を過ごしてきたか、なんて。
「あ、そうか。あなたがラスと付き合うようになったのは、ユラクの件よりも後だもんね」
「うん…」
 はじめて会ったとき、彼はすでに「邪羅」だった。魔性の。ラスの関係者だけあってかなり変わり者で、おまけに意地悪だったけれど、綺麗で強くて、そういう意味では、リーヴィから見れば完成された存在だった。子供時代なんてあること自体信じられないような。
「べつに、あの子に直に聞いたってあっさり教えてくれると思うから。わたしが知ってるくらいのことは言っちゃっていいでしょ」
 ちらりと彩糸のほうに視線をはしらせた後、サティンはてきぱきと「ザハト」の生立ちを語った。
「……信じられない」
 ぐったりとソファに身を預けて、リーヴシェランは呟いた。
「じゃあ何? あの変態親父の陰謀にひっかかって邪羅のお母さんは自分は人間だと思いこんで、でもって結婚して子供までできちゃったの? だから、ぜんぶバレちゃった今では絶縁状態? まあ、それは無理ないと思うけど。でも……でもっ! どうして2人とも邪羅のこと置いてっちゃったわけ? 自分の子供でしょ? 子供が1人放り出されて、苦労するのなんてわかってるじゃない。なのに、どうして」
「ま、そんへんが魔性ってことよね。ふつう子供なんて生まれることはないだろうし、親子の情だって薄いんじゃない?」
 サティンの感想といえば、そんなあっさりしたものである。それでも納得できないようすのリーヴシェランにオトナの余裕で微笑みかける。
「それに、あの子自身が、捨てられたってことをそんなに気にしてないみたいだし。よく考えればさ、長い目でみれば、人間として苦労してよかったと思うわよ? 親にくっついていってたら、性格なんて曲がり放題だったろうし、何より、ラスの敵になってたかもしれないんだから」
「うん…」
 それは、そうなのだ。邪羅は、意地悪なところはあっても、一般的な魔性のような酷薄さや他者に対する害意をもたない。妖貴レベルの魔性と対峙すれば、普通はその存在のもつ美と力に屈服させられそうなプレッシャーを感じるはずなのに、邪羅に限ってはそれもなかった。人間臭い仕草のいちいちに、親近感を抱くせいかもしれない。そんな魔性らしからぬところが彼の美点であって、リーヴシェランもそういうところが好きなのだ。だから、結果的には文句はないのであるが。
「まあね、少なくとも…なまじ父親に引き取られてたりして、変態がうつってたらすっごいイヤよね……」
 あまりの言い様に彩糸がちょっと悲しそうな表情をしたのだが、リーヴィの位置からは見えなかった。かわりにサティンが苦笑する。
「わたしは御大に会ったことはないから、コメントは控えておくわ。……でさ、邪羅はそろそろ来るんでしょうね? これだけの逸品目の前にして、ずっとおあずけくうのは御免だわ」
「何が御免だって?」
 サティンの冗談交じりの嘆きをすくうように。前触れなく、それでいて絶妙のタイミングで、声が降ってきた。
 ほのかな白い軌跡をのこし、不意にあらわれた空間の隙間から、話題の主が現れる。
 彼にしては珍しく、きっかけをとらえた狙いすました登場だったようだが、あいにくこの程度のことで感銘を受けるような人材はこの部屋にはいなかった。
「ちょっと、遅いわよっ」
「あら、ひさしぶり」
「いらっしゃいませ、若君」
「…………なんかもーちょっと、驚いてくんないのかなあ、とか思うんだけど」
 心なし肩を落として、邪羅が床に降り立った。が、次の瞬間、ぱあっと表情が輝く。テーブルの上のものに気がついたのだ。
「うわすっげえ! 彩糸、これ食っていいの?」
「ちょっと! まさか1人で全部食べちゃうつもりじゃないでしょうね?」
 そのまま手掴みで丸ごと齧りつきそうな青年の気配に危機感を感じて、リーヴシェランがストップをかける。サティンもさっと、ケーキ台を邪羅から遠ざけた。
「今切り分けますから、お待ちください」
 邪羅の席にお茶のカップを置きながら、彩糸がくすくすと微笑んだ。
「ありがと彩糸。で、おまえらいったい、何の話であんなに盛りあがってたわけ?」
 タイミングを図ったとはいえ、結局、本格的に盗み聞きをしていたわけではないらしい。邪羅の性格を考えれば当然のことだったが、リーヴシェランは内心ほっとした。本人のいないところで噂話(ちょっと違うが)に興じていたなんて、あまり知られたくはない。
 が、そんな彼女の思いをふまえて、それでもサティンは図太かった。
「あなたがそんなに食いしん坊なのは、子供時代にお腹すかせてたせいなのかなーって話」
 あっけらかんと言い放つ。さすがにリーヴシェランが顔色を変えた。
「なんだよ、それ」
 邪羅が渋面をつくったが、別に怒ってはいないようだった。
「そりゃさ、両輪失踪しちまって、広い世間に1人で放り出されてからは、まあ食うに困る時もあったし、食えるときに食っとくってのが信条だったけど。今は別に、そんなことないぜ? 第一、こーんな体になっちゃってからこっち、いくら食っても実になんないじゃん?」
「でも、ここに来るときはいつだって、何かしら食べてるじゃないの」
「だから、彩糸の料理が上手いからだろ」
 なあ、と首をめぐらしつつ、邪羅が彩糸にウインクを送る。ぱっと顔を赤らめる彩糸が可愛らしくて、なのにリーヴシェランはなんとなしに面白くない気分になった。カップを口にはこんで不機嫌さを隠しながら、ぶすりと問いかける。
「味なんてわかるの、あんたに? ロクなもの食べたことないんでしょ?」
「おまえ、ひっどいこと言うなあ」
「だってそうでしょ」
「そりゃ、お姫様なおまえに比べれば貧しい食生活送ってたけどなあ。俺だって、家があった頃はけっこういいもん食ってたんだぞ?」
「え、そうなの?」
 意外そうな口ぶりで、サティンが割り込んでくる。
「そうさ。だって考えてもみろよ、そもそも粗食に耐えられるようなヒトたちじゃないだろ?」
 部屋にいた全員が、期せず同時に頷いた。そういえば、そうなのだ。いくら人目を忍ぶ生活とはいえ、妖主と清貧ほど似合わぬ取り合わせもないだろう。
「あれ? でもさ、邪羅のお母さんは、自分は人間だと思い込んでたわけよね? ってことは、家事だって自分の手で何もかもやらなきゃならなかったわけでしょ? 料理なんて、できそうにないと思うけど」
「そうよね、妖主だもん、料理なんてしたこともないはずでしょ?」
 サティンが疑問を口にすれば、リーヴシェランも頷いている。
「……あの、白焔の君は、もしかして元々料理がご趣味だった、というのではありません?」
 彩糸が妥当な意見を述べてみたものの、邪羅はあっさりそれを否定した。
「いや、母ちゃんは家事いっさいしてなかったから。って、したことないからできないじゃん、あのヒト」
「…………え?」
 それが意味するところを、理解するのに数秒。
 いち早く現実を受け入れたサティンが、おそるおそる問いかけた。
「あの。ということは、あんたんとこの家事担当者って、その」
「うん。親父」
 またしても、しばしの沈黙が部屋を支配した。
「…ねえっ」
 ぶるぶると頭を振ることでどうにか妄想を追い出して、リーヴシェランがすがるような眼差しを邪羅に向ける。
「そ…そうよね。妖主だもん。ちょちょっと力を使えば、どっかから料理を転送させたりできるもの。うん、そりゃ楽よねー」
 お願い頷いて。そんな一同の視線を一身に受けつつ、邪羅はため息をついた。
「いや。ちゃんと自分でやってたぜ? ほら、人間のフリしてる以上、自分でなんでもやらなきゃな。うっかり術使ってるとこ見つかって、母ちゃんにかけた暗示が綻んだら元も子もないわけだろー? 今にして思えば、涙ぐましい努力だよね。その甲斐あってか、かなり美味かったぜ、親父の料理」
 なにやら懐かしげな邪羅をよそに、リーヴシェランとサティンはぐったりとソファに沈み込んだ。特にリーヴシェランのほうは、なまじ本人を見知っているだけにダメージが大きかったようだ。映像がリアルに浮かんでくる。
「でもさー、母ちゃんがあんまし甘いもの好きじゃなかったんだよね。だから親父も、お菓子とかは自分用をたまにこっそり作るくらいでさ。うまく現場をおさえれば、俺もちょっとくらい分けてもらえたんだけど。ああ、でもお菓子に関しちゃあ、やっぱ彩糸のほうが上かな。ホント美味しいもん、彩糸の作るやつ」
 でさ、と邪羅は彩糸の方を再び振りかえった。父親によく似た、甘えたような微笑をうかべつつ。
「まだ、食べちゃだめ? これ」
「……あ、いえ。どうぞ………」
 そして、立ち直れないままの2人を余所に、嬉々としてケーキをたいらげている邪羅の背後で。
 彩糸がほろりと涙を流したことは、誰も知らない。

2001.11.3.

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